凌霜第429号 2021年04月09日

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凌霜四二九号目次

 

表紙絵 昭34経 本 間 健 一

カット 昭34経 松 村 琭 郎

 

◆学長就任にあたって   藤 澤 正 人

◆新野幸次郎先生の学恩   田 中 康 秀

目 次

◆母校通信   品 田   裕

◆六甲台だより   行澤一人、鈴木 純、清水泰洋、四本健二、家森信善

◆本部事務局だより   一般社団法人凌霜会事務局

 会費支払い方法のお知らせ/ご芳志寄附者ご芳名とお願い/

 事務局への寄附者ご芳名(前号以降4月末現在)

◆会誌「凌霜」アンケート結果

◆(公財)六甲台後援会だより(64) (公財)神戸大学六甲台後援会事務局

◆大学文書史料室から(38)   野 邑 理栄子

◆『国民経済雑誌』定期購読のご案内

◆学園の窓

 経済経営研究所長に就任して   家 森 信 善

 コロナショックが経済へ及ぼす影響   宮 尾 龍 蔵

 ある統計学者の六甲台着任、及び関連した話題   丸 山 祐 造

 六甲台での思い出と「応用歴史学」の追求   簑 原 俊 洋

◆表紙のことば 渓流の里   本 間 健 一

◆六甲アルムナイエッセー

 SNSから神大生を見る コロナ禍の社会で   住 田 功 一

 世界遺産姫路城の魅力   中 川 秀 昭

◆本と凌霜人 『管理職のための実践スキル講座』   天 野 雄 介

◆六甲台就職相談センターNOW 「何者」   浅 田 恭 正

◆学生の活動から

 六甲台学生評議会第十七代代表に就任して〜神戸大学ベルカンのご紹介〜   石 飛 茉 夏

 コロナ禍での一年の活動   齋 藤 花 織

◆クラス会 むしの会

◆支部通信 東京、大阪

◆つどい 東京六甲クラブ囲碁会、KUC囲碁クラブ、

     大阪凌霜短歌会、東京凌霜俳句会、凌霜川柳クラブ、

     神戸大学ニュースネット委員会OB会

◆ゴルフ会 廣野如水凌霜会、花屋敷KUC会

◆追悼 真期悠紀夫さん(昭38経)を偲ぶ   渡 辺   徹

◆物故会員

◆国内支部連絡先

◆編集後記   行 澤 一 人

◆投稿規定

学長就任にあたって

神戸大学長 藤  澤  正  人

 

 凌霜会の皆様、4月から学長を拝命することとなりました藤澤正人でございます。第3期中期目標・中期計画期間が今年度で終了し、来年度からは第4期が始まり、学長としてもさらに厳しい環境のなかで生き残りをかけ、新たな執行部、大学構成員の皆様とともに神戸大学の発展のために情熱を注ぎ尽力して参りたいと存じます。大役を仰せつかり、身の引き締まる思いでございます。

 日本は、コロナウイルス感染によって経済の低迷、医療の逼迫という大きな問題を抱え、社会の動きは不透明な状況が続いています。大学においても教員、学生、事務職員の教育研究活動において大きな影響を受け、大学の推進力が著しく低下しました。特に、学生教育への対応には多大なる労力と配慮を要し、国際共同事業においても留学生をはじめ多くの研究者の国際交流が難しくなり、研究教育活動において著しい支障をきたしました。すでにワクチン接種の準備が始まっており、医療従事者、高齢者を皮切りに全国民に順次供給されていけば、大学における通常の教育研究活動を取り戻し活発化させることができる日も近いと信じています。今回のコロナ感染では、失うものも大きかった一方で、コロナによるさまざまな制限の中で浮かび上がった問題点とともに新たな知見、新たな価値を見出すことができたのではないかと思います。

 神戸大学としては、今回のコロナ感染の中で得られた知を活かしながら、これまで培ってきた様々な実績を活かして創造的改革に取り組み、With/Afterコロナに対応した神戸大学ニューノーマルなるものを教育研究活動のうえで形作っていくべきと思います。ニューノーマルといえども、言うまでもなく大学においては知的活動や創造力によって真理を探求する基礎科学研究、あるいは、地域社会と共につくる応用科学研究を遂行しイノベーションを創出するとともに、卓越した教育により人材育成し、社会に貢献していくことが、大きな使命と考えています。神戸大学は、10学部15研究科を有し、恵まれた環境のなかで約16,000人の学生が学ぶ研究総合大学であり、自然科学系と人文社会科学系がバランスよく共生し、教育研究活動を進めていくことが肝要です。今般のコロナ感染の終息後は、さらに社会の価値軸が、多元化、複雑化、流動化していくと思われ、大学として次世代を見据え、危機意識を絶えず持ち、リーダーシップを発揮して、社会への透明性の確保と説明責任をしっかり果たしながら神戸大学の教育研究機能の発展に向けて継承と改革を念頭に構成員とともに一丸となって運営を行って参りたいと思います。

 今年は、第3期中期目標・計画期間の最後の年となり、計画の完遂と第4期中期目標・計画期間(令和4年~)に向けてより一層の機能強化とSociety 5.0の実現に向けて加速している知識集約型社会への動きを視野に入れたビジョンを策定し、国内外で飛躍できるよう教育研究、経営改革に取り組んでいかねばなりません。令和3年度の予算では、運営費交付金については1兆790億円、総額で16億円減となっていますが、基幹運営費交付金は基盤的設備等整備分の30億円増など全体で43億円増となっています。また、設備に関しては、第3次補正予算で202億円計上されており、かなり配慮された形となっているように思います。しかし、一方で、成果を中心とする実績状況に基づく配分は150億円増の1,000億円となり、より大学改革の成果を重視されるようになっています。神戸大学として今後も大学間競争が激しくなる中で、大学間の連携や他大学の統合の動きも視野に入れ、研究教育、経営体制の強化に取り組み、神戸大学の強みをさらに活かすとともに国内外から世界トップレベルの教育研究者を糾合し、その質のさらなる向上と機能拡充を図り、優秀な人材を育成できる、国際的な卓越研究教育拠点を目指して参りたいと思います。

 研究においては、学内の潜在的な卓越した研究教育資源を効率的に活用し、地域社会を含めた異分野で、共につくる、有機的な共創研究教育基盤の強化に努め、教職員が協働して、新規性、独創性のある、そして傑出した異分野共創研究教育事業を創出、推進し、強い研究教育経営基盤を作り、改革を進めて参ります。

 さらに、研究教育機能を補完・強化するために、近隣大学との連携を模索し、既存の大学間の枠を超え、それぞれの特徴的、かつ、卓越した研究教育資源を、効率的、効果的に活用した新たな研究教育基盤として共同の大学院やブリッジキャンパス研究・教育ハブなどの創設を検討いたします。

 また、これらの研究、教育を支えていく人材を育成するうえで、優秀な若手、あるいは、女性研究者のキャリア支援と優れた研究環境の整備にも取り組んで参ります。特に、博士課程の大学院学生や若手研究者の研究費や経済的な支援に注力し、優秀なやる気のある学生や若手研究者の学内キャリアアップを支援する体制を強化します。

 さらに、減少していく18歳人口、近隣の大学の統合、あるいは新型コロナ終息後の学生や社会の動向などを見据えながら、大学の将来を担う優秀な学生を集めていくことは重要な課題であり、多面的な観点から入試方法の分析を行い、学部のアドミッションポリシー、カリキュラムポリシー、そしてディプロマーポリシーに基づいた入試方法の改革は必須であると考えています。

 また、教育機能の強化において重要であるグローバル化を進めるにあたって、さらなる国際教育支援や、留学環境の整備などに取り組み、海外卓越大学との国際交流や共同教育を推進し、さらにグローバル化を進めて参ります。

 さらに、海外留学生のみならず、社会人、障害者、幅広い年齢層の学生等、すべての学生が安心して学べる環境と、国際性、多様性、柔軟性、卓越性に富む質の高い教育プログラム、そして、データを活用した研究開発力を養うAI・データサイエンス教育を兼ね備えたグローバル&インクルーシブキャンパスを充実させ、デジタル社会で活躍できる多岐にわたる分野で有能な人材を育成し、神戸大学の優位性を示し選ばれる大学を目指して参りたいと思います。

 また、社会からの大学教育に対するニーズが多様化してくる中、神戸大学の強みを活かし、自治体、産業界なども含めた異分野、すなわち産官学共創による知識、能力、技術の実践的教育や、価値創造教育を重視し、文理の枠を超えた教養を涵養して、社会が求める有能な実践的人材、すなわちニーズオリエンテッドな人材を育成して参ります。

 さらに、神戸大学の新たな目玉として学生を惹きつけ、かつ、社会が求める、実践力を備えた人材を育成する先端的な異分野共創学科、あるいは、大学院等の組織改革を多部局連携、協働のもと推進して参ります。

 教育システムに関しては、ポストコロナを見据えて特色のある次世代ICT(情報通信技術)教育基盤を整備し、学内、あるいは社会人学生、海外学生へのオンライン授業による時空間の制約がない遠隔教育、e-ラーニングを利用した学習者主体の反転教育やブレンデイドラーニングなどのデジタル教育改革を推進し、効率的で、かつ、様々なリスクに対して盤石な教育システムを築いて参ります。そして、バーチャルとリアル空間が調和した次世代の時空を超える大学教育を目指したいと思います。

 さらに、学内におけるIoT、デジタル環境を整備、強化し、学内運営における情報共有や、意思決定の迅速化、会議や業務の効率化と構成員への負担軽減を図って参ります。また、財源の費用対効果を重視し、それぞれの部局の特徴を踏まえたうえで、教育研究活動や外部資金の獲得に対して的確な評価をし、選択と強化を念頭に教育研究資金の配分や人材配置を考えて参ります。

 また、これまで以上に学外地域連携を重視し、神戸大学を取り巻く神戸市、兵庫県、関西広域、地元企業、神戸医療産業都市と多角的な連携を推進できる、有機的な太い研究教育パイプラインとして広域的な神戸産官学連携研究教育プラットフォームの設置を進めて参ります。そして、地域を基盤として世界に発信できる先端的な異分野共創型の卓越教育研究事業を推進し、価値創造とそれを応用・具現化する傑出した『知』を創る、卓越した『人材』を創る、優れた『環境』を創る、の3創を実現して社会に貢献し、神戸大学の威信を高めて参ります。 

 今般、動き出し始めた新しい体制のもとで、力強く創造的変革に挑戦し、輝く未来社会で躍動する知と人材の育成拠点としての神戸大学のブランディングに注力し、新型コロナウイルス感染終息と共に変化してくる地域社会において核となり、経済、文化、生命、環境、人間活動を活性化し、地方創生にも貢献しながら、日本、世界に情報発信し、社会貢献できるよう鞠躬尽力いたします。

 最後に、学長就任にあたり凌霜会の皆様方には、引き続き神戸大学の発展に向けて高所大所からご指導・ご鞭撻ならびにご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げる次第でございます。

筆者略歴

 1984年神戸大学医学部卒業、1989年神戸大学大学院医学研究科修了、医学博士取得。1990年The Population Council, The Rockefeller University, Research fellow、2001年神戸大学医学部泌尿器科講師、2002年川崎医科大学泌尿器科教授、2005年神戸大学大学院腎泌尿器科学分野教授。2014年神戸大学医学部附属病院長、2018年神戸大学学長補佐、2019年神戸大学大学院医学研究科長・医学部長、2021年神戸大学学長

 

新野幸次郎先生の学恩

 

神戸大学名誉教授 田 中 康 秀(昭50経修)

 

 昨年(2020年)12月13日のお昼過ぎ、私の携帯電話に1本の着信がありました。それは、新野幸次郎先生のお嬢様の緑先生からのお電話であり、「父の容体が急変し、本日午前0時32分に亡くなりました。」とのご連絡でした。私は驚愕し、しばらく声を発することができませんでした。

 新野先生は急性骨髄性白血病のため昨年7月より2度目の入院をされていましたが、新型コロナウイルス感染症が拡大していたときでもあり、ご家族以外の面会は病院側から許されておりませんでした。そこで、せめて電話でお声だけでもお聴きしたいと思い、お嬢様にたってのお願いをしていましたので、一瞬そのお電話かと思いましたが...。しばらくして我に返り、お悔やみを申し上げるため、先生のご自宅をお訪ねしました。先生は、奥まった日本間で安らかにお眠りになっておられました。95年のご生涯でした。

 以前、新野ゼミナール同窓生で先生の卒寿のお祝い会を東京で開催した折、私は拙い挨拶の中で、「ますますお元気で、是非ギネスブックに載る長寿記録を作ってください。」とお願いを申し上げましたが、その願いがかなわず、いま残念な気持ちでいっぱいです。

 私が、新野先生にはじめて直接お会いして会話を交わすことができたのは、大学2年の12月のことでした。私が神戸大学に入学した当時は大学紛争のときであり、我々は教養課程を入学年度の9月から1年間で終えて六甲台学舎で学んでいましたが、3年に進級するに当たってどのゼミナールに所属するかを決めなければなりませんでした。私は、当時入会していた「神戸大学国際問題研究会」の先輩諸氏の中に新野ゼミ生が数名おられたこともあり、是非新野ゼミに入りたいと思い、当時兼松記念館2階の東側にあった先生の研究室前の廊下で面接の順番を待っていました。面接では、いつもの温和なお顔で、またよく通るお声でいくつかの質問を受けました。いまそのすべてを思い出すことはできませんが、1点「ゼミに入ったら何を研究したいですか?」との問いに、「所得分配について研究したいです。」と答えたことを覚えています。

 私は積極的に発言するようなタイプの学生ではありませんでしたので、どのような理由であったかわかりませんが、幸い新野ゼミの一員に加えていただくことができました。それ以後、学部の2年間、大学院での2年間を経て、経済学部の助手に採用していただいたこともあり、先生が1985年2月に神戸大学長に就任されるまで、新野ゼミナールの研究指導に同席させていただくとともに、ゼミ旅行などにもご一緒させていただきました。研究指導の時間は、単に卒業論文作成のために我々が指導を受けるだけではなく、その合間に先生が話される様々なトピックスから先生のお人柄や人間としての生き方、ものの考え方などをうかがうことができ、それらを通じて、私は本当に多くのことを学ぶことができました。これまで、私が曲がりなりにも大学教員を務めることができているのは、このときの経験に負うところが大きく、先生には心より感謝申し上げております。

 新野幸次郎先生は1925年5月13日に鳥取県八頭郡丹比村(後の八東町、現在の八頭町)で商家のご二男としてお生まれになりました。地元の小学校を経て鳥取商業学校に進学され、1943年4月に鳥取商業学校から初めての学生として兵庫県立神戸高等商業学校(翌年県立神戸経済専門学校に改称、後の県立神戸商科大学、現在の兵庫県立大学)に入学されました。当時は戦時中であり、授業を受けられたのは最初の1年のみであり、その後は軍需工場で勤労奉仕をされ、1945年2月に軍隊に召集されたと生前伺っています。そのような状況のなか、学校に入ってもほとんど勉強をさせてもらえなかったようであり、「もっと勉強を続けたい」との強いお気持ちから、1946年4月に神戸経済大学(現在の神戸大学)に入学されることになります。神戸経済大学での3年間は、それ以後の先生の人生を決定付ける極めて重要な3年間となりますが、中でも、恩師宮田喜代藏先生との出会いは先生の人生に大きな影響を与えることになります。新野先生は我々ゼミ生に対しても決して声を荒げるようなタイプの先生ではありませんでしたが、研究指導の時間などによく宮田先生のお話しをされて、厳しい中にも温厚な先生であったと述べておられたことを記憶しています。我々の恩師である新野先生ご自身もそうであったことを考えると、宮田先生の教えを守られていたのかもしれません。

 新野先生は、神戸経済大学をご卒業になると同時に文部教官(神戸経済大学)に任官され、その後、神戸大学経済学部助手、講師、助教授を経て、1963年4月に経済学部教授に就任され、1991年2月に退官されるまでの42年間、神戸大学で研究・教育及び大学の管理運営に携わってこられました。この間、先生は経済学界の発展に貢献する多くの著作を発表されるとともに、1983年5月から3年間日本経済政策学会会長を務めておられます。また、大学教育においては経済原論、経済構造論などの講義を担当され、ゼミナールでは300名以上の学部学生と30名以上の大学院生を指導してこられました。

 その一方で、1976年11月から2年間経済学部長兼経済学研究科長を務められ、経済学部の改革・発展に寄与されました。私の助手時代は新野先生が経済学部長を務められていた時期と重なりますが、経済学部教授会には助手もオブザーバーとして出席することが許されており、六甲台学舎本館2階の楕円形の机が置かれた広い会議室の学部長席とは真反対の下座で緊張して出席していたことを思い出します。

 1985年2月からは神戸大学長に就任され、6年間学長職を務められました。学長としても多くの面で神戸大学の発展に貢献するお仕事をなされていますが、1つ挙げるとすれば、全国の大学に先駆けて教養部を廃止し、国際文化学部を設置するという大改革の道筋をつけられたことでしょうか。これ以後、全国の国立大学の大多数が教養部を廃止する方向に動いたことは周知のところです。先生は学長として、「総合大学としての神戸大学」のレベルアップを公言され、そのために心血を注いでこられました。

 1991年2月に神戸大学長の任期満了に伴って、先生は神戸大学をご退官になり神戸大学名誉教授になられるとともに、(財)神戸都市問題研究所所長に就任されました。神戸大学時代から教育・研究とともに多くの社会的活動も行っておられましたが、所長(のちに理事長)に就任されると本格的に取り組まれ、「実践としての学問」を身をもって示してこられました。所長・理事長時代にも多くの著作を発表されるとともに、ご講演などで東奔西走の毎日を、まさにお亡くなりになる直前まで続けておられました。この時期における先生の大きなご業績は、1995年1月に起こった阪神・淡路大震災後の復興計画を中心となって推し進められたことでしょう。先生は兵庫県や神戸市の震災復興計画策定を主導され、未来志向に立った革新的復興計画をまとめられました。新野先生の訃報記事を掲載した『日本経済新聞(関西版)』は、「震災直後の3月に兵庫県の懇話会の座長としてとりまとめた『阪神・淡路震災復興戦略ビジョン』は、震災被害からの単なる復旧だけでなく、21世紀にふさわしい新しい都市モデルの創出を提言。」と書いています(2020年12月18日号)。震災復興や防災・減災に関わる問題は、教育問題などとともに、神戸大学ご退官後の先生の最重要テーマであり続けました。

 また、新野先生の神戸大学に対する愛着心は、ご退官後も変わることはありませんでした。学長退任後も神戸大学がより良い方向に進むことを常にお考えになっており、凌霜会理事長、神戸大学六甲台後援会理事長、さらには神戸大学学友会会長として神戸大学発展のために多大なるご尽力をいただいたことを忘れることはできません。神戸大学創立の起点を旧制神戸高等商業学校が設置された1902年に明確に定められたのは新野先生の学長時代のことですが、その神戸高等商業学校初代校長であった水島銕也先生の生誕150年を記念して、その遺徳を偲ぶ講演会を2014年5月に水島先生の生誕地である中津市で開催することを中心になって進められたことなどは、新野先生だからこそできたことではないかと思っています。

 新野先生の研究・教育活動や大学運営に関わるご貢献、社会的活動に対するご貢献は、当然ながら、高く評価され、先生は勲二等旭日重光章、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など多くの賞(章)を受けておられます。

 私は、かってある人が「新野先生は「行動の人」である。」と表現されたことを聞いたことがあります。先生は、お亡くなりになる2年前ぐらいから、私が「ご体調はいかがですか?」とお聞きすると、「それほど大丈夫ではないよ。」と気弱なことを仰るようになりましたが、それでも執筆活動やご講演、我々門下生との付き合いなど、今までと全く変わりなく行っておられました。先生は、昨年5月から8月にかけて『神戸新聞(夕刊)』の「随想」欄に7回にわたって連載されましたが、それが公表された先生の最後のご著作となりました。先生は、一昨年8月に骨折のため入院をされて手術を受けられましたが、この連載はご自宅でリハビリに励んでおられたときに執筆されたものです。また、急性白血病で2度目の入院をされていた病床にあっても玉稿を残されており(ご遺稿「神鋼病院の病床から」)、先生の旺盛な執筆意欲は最期まで止まることはありませんでした。

 新野先生が神戸大学をご退官になった折、それまでの先生のご貢献に対する謝意として、『国民経済雑誌』は「新野幸次郎教授記念号」を刊行し、私もそれに拙文を書かせていただきました。その中で新野先生について、「先生は「セルフコントロールの人」との感を筆者は強く持っている。ゼミナールの時間などを捉えては、先生はわれわれ門下生に、「努力と思いやり」をいつも説いて来られた。そのお気持ちは今も変わっていないと思う。単なる言葉だけではなく、実践の人の言葉ほど影響力の強いものはない。」と書いたことがあります。いま、在りし日の先生を思い起こしてみて、まさにその通りであったと強く思っています。

 先生には様々な分野での多くのご業績がありますが、我々門下生にとって何よりも嬉しかったことは、先生が最期まで我々ゼミ生のことをお考え下さり、常に寄り添っていただいたことです。毎年1回開催していた背広ゼミ(幸ゼミ総会)や大学院の研究会には欠かさずご出席下さり、また、先生が神戸大学をご退官になった翌年から始まった年4回の「幸ゼミ読書会」においても、お亡くなりになる直前までご指導いただきました。我々門下生が先生からいただいた学恩には極めて大きなものがあり、衷心からの感謝を申し上げる次第です。先生、本当にありがとうございました。

 新野幸次郎先生のご冥福を心よりお祈り申し上げて、この拙文を擱筆したいと思います。

合 掌

(岡山商科大学副学長)