凌霜第381号 2009年05月01日

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◆巻頭エッセー
    サッカー界に見る日本のオリジナリティー       西野  努
◆母校通信                             中野 常男
◆六甲台だより                           吉井 昌彦
◆理事長からのメッセージ 3
    改革迫られる凌霜会                   高崎 正弘
◆学園の窓
 アムステルダム滞在記                     井上由里子
 体験事実にもとづく経済社会学の探求            藤岡 秀英
 実学の行方                            松嶋  登
◆リレー・随想ひろば
 愛知県津島市を紹介します                  高木  宏
 物を書くという事                         備前 武一
 男の料理教室                          豊田 英男
 ハルピン紀行                           山根 和之
 オーストラリア滞在記                      秋吉 博之
◆学生が大学の未来を変える                 世良田一輝
◆カンリガルボ山群合同学術登山隊計画           福田 秀樹
◆本と凌霜人
 「ジョルジョ・モランディ静謐の画家と激動の時代」     浅井 長久
 「カラオケ進化論-カラオケはなぜ流行り続けるのか」   辻本 健二
 「会計で会社を強くする」                     大住 亜矢
 「新版 中国駐在員の選任・赴任から帰国まで完全ガイド」 田  漢哲


      凌霜俳壇    凌霜歌壇


<本号掲載記事から一部抜粋>
◆サッカー界に見る日本のオリジナリティー

                平成5営 西 野   努
               (㈱オプト・スポーツ・インター
                    ナショナル代表取締役)

 イギリスで中世から広く行われていたフットボールが制度化され、共通のルールを持ったスポーツとなったのが1863年であり、その後大英帝国の繁栄と共にフットボールは世界中に広がっていった。日本へもその後間もなくイギリス人将校により持ち込まれ、人気スポーツとなって国中へ広がっていくこととなる。20世紀に入り、世界大会を開催する事を目的に国際サッカー連盟(FIFA)がパリで結成され、1930年に第1回ワールドカップがウルグアイで、その後4年ごとにヨーロッパと南米の国々を中心に開催されてきている。その中で、日本サッカーはと言えば、1936年のベルリンオリンピックに初出場し、スウェーデンを破り“ベルリンの奇跡”として語り継がれたり、1968年のメキシコオリンピックで銅メダルを活躍したりと、主にオリンピックという舞台での活躍が目立ったが、ワールドカップへ初出場したのは、ごく最近の1998年フランスワールドカップだった。なぜ、日本が20世紀の終わりになるまで出場できなかったかは、日本におけるスポーツのあり方を考えれば理解ができる。
日本においては、身体を動かす事は学校の体育の授業で始まる。そして、学校を中心としたクラブ活動でさまざまな競技を覚え、プレーし、その延長に企業スポーツが存在していた。日本では、サッカーをはじめラグビー・バレーボール・野球・アメリカンフットボール等々、競技スポーツは社員の福利厚生や士気向上を目的とした企業活動の一環として位置づけられていた。選手は社員として働き、その後で練習に取り組み、週末試合に臨むというアマチュアという立場が主流である。企業スポーツの極みがプロ野球であると言える。
プロ野球は、その名の通り選手達はプロフェッショナルであるが、もともとは読売新聞社が新聞を売るために始めたもので、企業の広告宣伝塔としてのプロ野球チームである。国税庁の通達により、子会社である球団が赤字を出した場合、親企業の広告宣伝費としてその赤字が経費計上されることが許されている。すなわち、選手はプロであるが、球団の運営はあくまでも企業が主体となっており、“企業スポーツ”の極みなのだ。ここ数年の景気後退を原因としたプロ野球界の再編は、このことを裏付けている。
野球の事はさておき、サッカーの話に戻るが、メキシコオリンピックで世界を痛感した日本のサッカー人達が、世界一のスポーツイベントであるワールドカップの開催と出場を熱望したことは容易に想像できる。しかし、世界で戦えない大きな理由は“アマチュア選手”という環境だった。プロとして生活をかけて毎日練習している選手達を相手に、生活の半分をオフィスで過ごす選手が勝てる訳がないということだ。そして、1980年代に入って具体的な動きが始まり、1993年のJリーグ開幕、1998年のワールドカップ初出場、2002年ワールドカップの共催と10年間のうちに世界の舞台へ躍り出ることとなった。
1993年に神戸大学を卒業すると共にJリーグ(当時は10チーム)の浦和レッズへ加入した私は、このプロ化された出来たてほやほやのリーグとそれをとりまく環境の急激な変化を選手として見てきた。プロリーグとはいえ、環境の整備も同時に進行していたので、浦和レッズの場合も練習場は市のグラウンドを借り回っている状態だったし、独身寮は市内にあるビジネスホテルの1フロアを借りているというありさまだった。他のチームも環境はあまり変わらなかったと言える。ワールドカップで大活躍してきた名選手たちが、続々とJリーグへやってきてプレーを披露するだけでなく、さまざまな技術やスピリットを日本の選手達へ残していってくれた一方で、名前だけで大きな契約を交わしたものの、来日してみれば怪我ばかりで使い物にならなかった有名選手も数多くいたし、選手代理人の言うがままに契約して、蓋をあけてみると全く活躍できずに帰ってしまうケースも多々あった。しかし、今となっては素晴らしい練習場とクラブハウス、名実共にレベルの高い外国人選手が当たり前で、この10数年で環境は劇的に良くなってきている。
リーグ運営に関しても、Jリーグの放映権や商品化権のリーグ一括管理はアメリカのプロスポーツで主流となっている方法であり、チームの格差をなくし、リーグとして魅力ある試合を提供していき、共生していくための方法をJリーグは参考にし、採用している。また、クラブ運営のなかでの選手育成システムは、ヨーロッパのアカデミー組織を参考にしている。日本は世界の先例を参考に、良いエッセンスを吸収してきて発展してきたと言えるのだ。そのおかげで、ワールドカップへも連続出場するようになり、ヨーロッパのトップリーグで活躍する日本人選手も珍しくはなくなってきた。
しかし今、日本のサッカー界が直面している問題は、そこから先へどう進歩していくかということだ。オシムが日本代表チームの監督に就任した時に、こんなコメントをしている。「私の一番大きな課題は、日本代表チームをどう日本化するかだ」と。ヨーロッパのトップレベルのチームが採用しているシステム・戦術や個人レベルでは南米の選手達のやわらかいボールタッチをお手本としてきた。しかし、何が日本のオリジナルで、何が日本のサッカーかと問われれば答えに困るのが現状であり、そこが世界の強豪とごして戦えない理由だとオシム監督は指摘しているのだ。
リーグ運営に関してもJリーグは、限られた数のチームで運営し、参入障壁を高くしてマーケットを守っているアメリカのプロリーグスタイルのマーケティングを参考にしながら、一方で地域密着をうたい、チーム数をどんどんと増やしている。今は、J1とJ2を合わせると36チームあり、将来的には全都道府県にチームを持ちたいというビジョンを持っている。
また、選手の移籍市場においても、FIFAの規定に合わせるという理由だけで、契約を満了した選手の移籍金を撤廃する方向へ動いている。ヨーロッパの選手市場でこの制度が導入された後に起こったことは、選手年俸の高騰と“持てる”クラブと“持たざる”クラブの2極化だ。実力のある高額年俸の選手を他クラブに移籍させないために、年俸を高くして複数年契約することが主流となれば、有力選手を獲得できるのは財政力のあるクラブに限られる。それまで選手を育成し、“持てる”クラブへ売却することで収入を得ていたクラブは収入源を絶たれることとなる。クラブ間の戦力格差と財政力格差が広がるという訳だ。
何を言いたいかと言えば、アメリカやヨーロッパの先例に倣い、良い部分を吸収してより進歩していこうという姿勢は良いのだが、その先にある“最も優れた日本オリジナルを追求する”という部分が見失われているということである。選手の育成やサッカースタイル、リーグ運営、クラブ運営、すべてにおいてヨーロッパや南米のトップレベルから優れた部分を吸収することは良いが、主体性があまりにも失われているようでならない。その先に明るい未来はない。
一昨年、京都の金閣寺を訪れたときに、金閣寺が3層からなっていて、その3層がすべて違う様式で作られていると説明された。日本という国が世界に誇れるところは、外国からいろいろな良いところを取り入れるが、それを混ぜ合わせながらも優れたオリジナルを創造していけるところだと。
日本のサッカー界はこの20年で急激に進歩してきた。それは、謙虚に世界中のサッカーやスポーツに存在する良いところを吸収しようという姿勢があってのものであることは間違いない。しかし、この先の道は、自分たちの意志で創っていかなければならない。日本のサッカー界も世界に誇れる日本オリジナルのスタイルを追求すべきではないだろうか。このことは、サッカー界だけでなく、日本のビジネススタイルや価値観にも共通して言えることではないかとも思う。
筆者略歴
1971年生まれ。1993年~2002年まで浦和レッズに在籍。
2004年11月、MBA(リバプール大学)取得。
ブログアドレス www.tsutomu‐nishino.com


◆理事長からのメッセージ 3

 改革迫られる凌霜会
    ―現状と課題―      社団法人凌霜会理事長 高  正 弘

風薫る爽やかな季節となって参りましたが、会員の皆様には益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
季節は毎年確実に巡ってきますが、これに対して、世界経済を巡る混乱は未だトンネルの先が見えない状態が続いています。このような環境のなかで国立大学法人は運営交付金の削減、附属病院への経営改善係数の導入、一部教育研究分野への競争的資金配分の導入など、財務面からも引き続きチャレンジングな経営が求められています。
 教育研究機関である大学を、財務面と絡めて競争的環境下に置くことが果たして正しいのかどうかについては議論のあるところだと思いますが、これに関連して懸念されるのが地方と中央の情報格差であります。グローバルCOEや教育GPなどの競争的資金獲得には事前の周到な準備が欠かせないと推測しますが、政府の施策に対する情報感度の良し悪しが、その後の対応に種々影響することは否定できないのではないかと思っています。
新たにご就任された福田秀樹学長には、実業界から教育研究界にわたる幅広いご経験を基に、メリハリの効いたダイナミックな大学運営と、情報受発信力や組織的対応力の強化などにご尽力いただけるものと期待申し上げているところであります。
他方、我々同窓会も、当事者意識を持って大学運営をサポートしていかなければならない時代背景を直視しなければなりません。㈶神戸大学六甲台後援会創立50周年記念事業の一つ「凌霜賞」の立ち上げや、六甲台講堂の再生支援は記憶に新しいところであります。母校への支援策を更に拡充していくためには、同窓生との間に多様なチャンネルを有する凌霜会が、大学を巡る環境の変化を適確に捉えつつ、縦横の繋がりを強化・活用して常にその先陣を切らなければならないと思っています。凌霜会の組織としての活力と財務の健全性の維持向上が熱望されるゆえんであります。
 そこで、前号でお約束した凌霜会を巡る当面の課題とその対応状況について中間的に報告し、皆様の変わらぬご支援をお願いしたいと考えます。課題は、ご承知の通り「公益法人改革への対応」と、ここ2期間赤字が続いている「収支の改善」であります。
 公益法人改革への対応に関しては、昨年12月に施行された新しい法律の下で、今後5年以内に、引き続き公益法人の資格を有する社団法人としての認定取得を目指すか、一般社団法人に衣替えするか、解散するかの選択と、その選択にマッチする適法な措置を講ずる必要があります。今後は第三者からなる公益認定等委員会において、「公益法人として妥当か」、「一般法人への移行計画などに無理はないか」といったことが審査されることになりますが、凌霜会が新しい法律の下で公益法人として認定されるかどうか、その見通しは大変厳しいと思っています。やや古い話ではありますが、平成8年12月の関係閣僚申し合わせ「公益法人の設立許可及び指導監督基準の運用指針」では、いわゆる同窓会・同好会など構成員相互の親睦・連絡などを主たる目的とするものは公益法人として適当でないとされています。その上で、公益目的事業比率50%以上という今回の新たな基準は、凌霜会にとって極めて高いハードルであります。
昨年暮に「公益法人改革対応小委員会」を立ち上げ、徹底した情報収集と大きな骨格案についての意見交換が行われていますが、現在のところ、「一般社団法人」への移行と併せて、狭義の収益事業のみに課税される「共益法人」を目指す方向で議論が進んでいるとの報告を受けています。この委員会の正式な答申を受けて最終案を詰めることになりますが、工程目途としては、今年度中に対応案を一応まとめ、当局との事前折衝や他大学事例とのすり合わせを行い、平成22~23年の申請・移行に備えることを予定しています。
大きな枠組みと並んで肝心なのが、新しい法律に則したガバナンスの強化策であります。一般社団法人への移行を前提にすると、理事会の設置は絶対要件ではありませんが、法人の規模や従来との継続性から理事会設置が自然な姿でありましょう。新法の下では委任状による出席は認められず、過半数の理事本人の出席が理事会成立の絶対要件となりますので、理事の選任方法に加えて、頭数やメンバーなどの制度設計をしっかりと考えなければなりません。また、株式会社の株主総会に当たる社員総会は必ず設置しなければならず、委任状による意思表示の道が用意されているとはいえ、膨大な人数が見込まれる㈳凌霜会社員の意思を総会の都度確認することは非現実的で、適法でかつ実効性ある方策を考える必要があります。現在委員会では、会費納入会員の中から代議員を選任し、これを法律上の社員と位置づけるといった手法がイメージされているようであります。
 もう一つのポイントは、これまで公益法人として蓄積してきた公益目的財産額を、新法人への移行後は、計画的に公益目的事業に使い切ることが義務付けられていることであります。この公益目的支出計画の蓋然性が一般社団法人への移行認可の大前提になります。この蓋然性を担保するものが、次のテーマである毎期の健全で安定した財務収支であります。現状は、期間収支不足を過去の剰余金取り崩しで賄うことは可能でありますが、仮に、移行時の剰余金=公益目的財産額とすれば、新法人は財務の弾力性を著しく欠くことになります。
ここ2期間の赤字の主たる要因は、会費収入の減少と凌霜メールマガジンはじめOB・現役向けのサービス強化に伴うものでありますが、目先の収支改善のためにこれらサービス事業を縮小することは凌霜会の足腰を弱らせることになり、我々として採用し得る手段ではありません。結論から言えば、会費収入の増強以外にこの課題をクリアする手段はなく、卒業年次によって大きなばらつきがある会費納入の改善策と、今から5年ほど前に導入された準会員の増強策が、「収支改善小委員会」の主たるテーマであります。既に2回の委員会が開催され、費用対効果の観点からの納付依頼書発送先の見直しや、地に足のついた前向きな議論が精力的に行われており、実効性のあるものから逐次実施に移していく予定です。
 幸い、準会員に関しては、入学手続き後の勧誘場所が、昨年から明るく広い百年記念館のロビーに変更になり、これが新入生諸君の入会率向上に結びついています。この勢いを入会率100%にまで高めていくことが宿題であります。
片や、卒業生の会費納入状況改善に関しては、学園紛争や高度成長期などを経験して意識が大きく変わったと言われる昭和40年代半ば以降卒業の皆さんとの接点・チャンネルを如何に強化していくかがポイントであります。そこで、40年代卒業の皆さんに出来るだけ凌霜会の諸活動に参画していただき、その方々を核に、同窓会活動への関心と帰属意識の輪を広げていただくことが必要であるとの思いから、今回の委員にはこの年代の方々を中心にご就任いただいた次第です。
 なお、特定公益増進法人である㈶神戸大学六甲台後援会については、公益法人認定を目指す方向で「公益法人改革対応小委員会」において今後議論される予定であります。公益法人は現在全国で約25、000ありますが、そのうち特定公益増進法人の資格を有するのは僅か4%の900団体程度で、六甲台後援会の処理についてはその資格維持に最善を尽くす価値ある案件と考えています。
最後になりましたがこの稿を終えるに当たり、ご多忙のなか快く委員等をお引き受けいただき、精力的に活動していただいている各氏に心よりお礼を申し上げます。
また、出稿時期との関係で、その後の委員会での議論がご報告出来ていないことをご了解下さいますようお願い申し上げます。