凌霜第399号 2013年10月31日

ryoso399.171.jpg凌霜三九九号目次

 

◆巻頭エッセー  LNG輸送と1969年        朝倉 次郎

 

■目次

◆母校通信                        正司 健一

◆六甲台だより                      鈴木 一水

◆本部事務局だより              一般社団法人凌霜会

事務局

◆会員増強対策の推進について(3)      一般社団法人凌霜会

会員増強対策委員会

◆(公財)神戸大学六甲台講演会

       理事長退任に際して            新野幸次郎

◆(公財)神戸大学六甲台講演会

       理事長就任のご挨拶            高﨑 正弘

◆(公財)六甲台講演会だより        神戸大学六甲台後援会

                                   事務局

◆学園の窓

 研修報告                         野口 昌良

 財政学と財政問題の「誤解」              宮崎 智視

 国際共同研究セミナーと六甲台のブランド力     多湖  淳

 グローバル人材の育成と大学教育           中井 正敏

◆凌霜ゼミナール 素粒子の標準模型と

             ヒッグス粒子           藏重 久弥

◆大学文書史料室から(8)                野邑理栄子

◆凌霜俳壇  凌霜歌壇

◆学生の活動から

 第34回六甲祭のご案内                 花田 律子

 神戸大学体育会柔道部の紹介             泉   壮

 神戸大学文化総部演劇部自由劇場の紹介       横山 尭史

 神戸大学体育会剣道部の紹介             下敷領隆介

◆六甲台就職情報センターNOW

          他流試合のすすめ          浅田 恭正

◆リレー・随想ひろば

 商社マン ハードなフライト命懸け           高橋 泰郎

 地域社会の人間として                  村上 克己

 私の情報化社会対応と「オクラホマ州」        越後 正弘

 置塩先生著書を再読する                亀井 正明

 真に社会人に開かれた本学経済学研究科       玉越  豪

◆支部通信  東京、石川、大阪、神戸、広島

          デトロイト

◆メルマガ「凌霜ビジネス」ヘッドライン

◆神戸大学ニュースネット委員会OB会

◆つどい

 幸ゼミ、水霜談話会、シオノギOB凌霜会、

 大阪凌霜短歌会、東京凌霜俳句会、大阪凌霜俳句会、

 凌霜川柳クラブ、ラグビー部OB会、剣友会、

 弦友会、二水会、男声合唱団グリークラブ

◆ゴルフ会

 学友会長杯ゴルフ大会、能勢神友会、芦屋凌霜KUC会、

 垂水凌霜会、廣野如水凌霜会、花屋敷KUC会

◆クラス会

 互志会、しんざん会、神五会、姫路白陵寮二寮5回生、

 さんさん会、三四会、珊瑚会、イレブン会、むしの会、

 大阪四一会、社会人経院21年会

◆追悼

 予科3回生米内滋郎君を偲ぶ              冨田 利和

 田中和雄大兄を惜しむ                  市島 榮二

 追悼、前田隆三君                     古田恵一郎

◆編集後記                          鈴木 一水

 

<抜粋記事>

◆巻頭エッセー

LNG輸送と1969年

          昭48法 朝  倉  次  郎

                (川崎汽船株式会社社長)

 昨年10月20日、ほぼ40年ぶりに母校を訪れました。幹事役からの提

案を受けて、1969年4月に入学し数年間を共に過ごした仲間10数名と

、少しずつ薄れゆく学生時代の青春の記憶を辿ってみたいと思い参加する

ことにしました。予想したとおり40年前と比べてキャンパスは相当に変わ

っていましたが、人間も社会も企業もそれだけの年月を経れば変わるのは

当然のことであり、この変化を受け入れることに何の抵抗もありません

でした。訪問した日が土曜日ということもあり、学内はとても落ち着いた

雰囲気で、勉強嫌いの私でさえ、もう一度真剣に歴史や経済を学んでみたい

と思わせるほど見事な環境でした。もっとも私たちの頃の混沌とした時代の

空気も疾うに過ぎ去ったものではありますが、記憶のどこかに染み付いて

離れないのは、それだけ濃密な時間だったのかもしれません。

 私が入学した1960年代後半の日本は、戦後復興から驚異的なスピード

で高度経済成長を成し遂げた直後で、今から思えばあの頃が時代の転換点

だったように思います。戦争で荒廃した国土の復興に数年を費やした後、

わが国は約20年でGDP世界第2位の経済大国にまで駆け上がったのです

から、今更ながら当時の日本人は本当に凄かったと思います。しかし69年

頃には、その驚異的な経済成長の陰で公害問題など成長の歪みも問題視され

るようになってきました。私はそのような時代の変化を当時は意識するでも

なく、人生の目標も見つからないまま73年10月に卒業することになりま

した。就職までの半年をどう過ごそうかと迷いましたが、思い切ってシベリ

ア経由欧州放浪の旅に出ることにしました。その3カ月の体験は私にとって

今でも貴重なものとなっています。帰国後、縁あって今の会社に就職するこ

とになり、それ以来気が付けば39年間海運ビジネスに携わっています。この

ビジネスは山高ければ谷深し、波乱万丈で日々平穏というわけにはいかず、

とくに最近は世界的な船腹過剰に悩む日々が続いています。

 さて、2011年に起きた福島第一原発事故以来、日本の電力事情は大き

く変化しました。原発に代わる電力として自然エネルギーの活用が最近にな

って漸く真剣に取り上げられるようになりましたが、普及にはまだまだ多く

の時間を要するようです。電力不足を補うために現在日本中の火力発電所は

フル稼働していますが、とりわけ東日本大震災が起きるまでは稼働率が平均

50%程度だった液化天然ガス(LNG)を燃料に使用する発電所も現在では

フル稼働を続けています。そこで問題となったのは緊急に追加で必要となる

LNGの確保で、震災直後の電力会社は燃料調達に大変ご苦労されたものと

思います。その後もLNGをはじめ燃料費の高騰が電力会社にとって重要な

経営課題となっていることは繰り返し報道されています。

 天然ガスを産出地でマイナス162度まで冷却し、液化した上で海上輸送

するというLNG輸送船は、現在では私の会社でも主力事業のひとつとなっ

ています。ただ、原発事故前までは日本の電力は原子力発電重視の方向に舵

を切り、化石燃料を使用する火力発電は地球温暖化問題への懸念から抑制へ

と向かっていました。その関係でLNG輸送船もどちらかといえば注目度の

低いビジネスに当時は留まっていました。しかし、先に述べたように東日本

大震災後はLNGをめぐる環境が一変します。それに加えて、最近注目され

るようになった米国のシェール革命は世界の天然ガス事情に急激な変化をもた

らそうとしています。我々海運会社にも新規ビジネスの好機到来ということで、

LNG輸送船によるガス産出地の豪州、米国、アフリカなどから需要国の日本

または欧州向け輸送案件が毎日のように舞い込んでくるようになりました。

 いま現役で活躍しているLNG輸送船の数は全世界に約370隻ありますが、

これらの船で運ばれるLNGの輸送量は年間約2億5千万トンです。そのうち

約9千万トンが日本向けですから、LNGの世界では日本は圧倒的に大きな存

在です。やや専門的になりますが標準的なLNG船というのは全長280~

300㍍、4個から5個の専用タンクを装備した特殊な船です。タンク容量は

14万立方㍍から18万立方㍍が標準で、もちろんLNGだけを運ぶ専用の船で

す(因みに16万立方㍍のLNG船1隻で150万世帯の1カ月分の電力を発電

できます)。天然ガスはマイナス162度以下で液体となりますが、同時に体積

は約600分の1に収縮するので液化することによって格段に輸送効率が上が

ります。タンクは断熱性の高い素材と熱収縮に耐える特殊な金属でできており、

それ自身には冷蔵庫のような冷却機能はありませんが気密性を保つことでマイ

ナス162度の超低温が維持される構造になっています。

 LNG輸送の歴史は古く、初の試みは1950年代に米国ミシシッピ河口か

らシカゴまでバージ(専用艀)で運搬したとされています。残念ながら試験輸

送は失敗に終わったものの、その後すぐに本格的な開発が米英両政府の肝いり

で始まり、59年1月に米国レイクチャールズを出港した「メタンパイオニア」

号が大西洋を渡り英国までLNGを輸送したのが初の海上輸送とされています。

アングロサクソンの冒険心に富んだチャレンジ精神、まずはやってみようとい

う先駆性には感心します。その当時の日本にはお金が無かったのか、あるいは

技術力が無かったのか、さまざまな理由は有ったのかもしれませんが、結局こ

ういうイノベーションは欧米で生まれ、彼らが特許を取り世界に普及させてい

くという構図は今も連綿と続いているような気がしてなりません。リスクを恐

れず新しいものに挑戦していく姿勢が日本経済再生には欠かせないと思います。

 話が日本人論に逸れてしまいましたが、ここで話をLNG船に戻しますと、

日本は69年11月4日にアラスカ産のLNGを初輸入しました。しかし、わが

国ではこの時点でLNG船を建造できる造船所は無く、アラスカからの輸送は

外国船に頼らざるを得ませんでした。それから二度の石油危機を経て中東から

の安定的な原油供給に不安が高まったことを契機に、日本も漸く本格的なLN

Gの輸入に着手しました。一旦やると決めたら脇目も振らずにとことんやるの

が当時の日本、官民一体となって遂に日本の造船所で初めてのLNG運搬専用船

「尾州丸」が竣工したのが83年のことです。因みに尾州丸は我が社の発注船で、

当時の船価は現在の1・5倍ほど、1隻300億円もする誠に高価な船舶でした。

尾州丸は日本がインドネシアより権益を購入したガス田「バダック」(ボルネオ島)

から2011年までの28年間一度の大きな事故も無く、延べ3千万トンのLNG

を運び続けました。この船はガス田がほぼ枯渇するのに合わせて退役しノルウェー

の船主に売却されました。

 燃料費の高騰がクローズアップされるようになって、米国のシェール革命に関

連する記事がこのところやたらと目立つようになりました。筆者の手許にある

2010年に出版されたエネルギー関連の書物にも全く触れられていなかった

シェールガスは、採掘技術が近年飛躍的に発達し、米国は今やガス輸入国から

輸出国に変わろうとしています。まさに革命的なエネルギー事情の転換が図られ

ています。マスコミはこれに乗じて日本はもっとLNGを安く買えるはずだと

連日のようにキャンペーンを張っていますが、果たしてそう上手くいくでしょう

か。米国のスポット価格は、現在100万BTU(英国熱量換算)当たり約4ドル

ですが、これにガスを液化するコストに輸送費を加えると日本着の価格は100

万BTU当たり約11ドルになります。日本が現在中東から購入するLNGのス

ポット価格が14~15ドル(輸送費込み)ですから両者の間にそれほどの差はあ

りません。筆者の思うところは、原料にせよ燃料にせよ購入ソースは異なっても

中長期的には着価格はほぼ同一の価格に収斂するのが経済の基本なので、安く買

うという発想より購入ソースを中東、インドネシア、豪州のほか米国、ロシア、

アフリカと広げていって価格交渉のカードを多く持つことがより重要と思います。

さらに加えるならば、主力エネルギー源をLNGに限定せずに、既存の石炭火力

発電に加えて日本が世界一の技術を誇るクリーンコール(石炭)発電を早急に実

用化させることも必要だと思います。多様なカードを手の内にして、私たちは高

い価格でガスは買いませんよとアラブのエネルギー大臣にも堂々と言えるような

交渉力を持つことに、官民一体となって取り組んで頂きたいと思います。(20

13年6月記)

筆者略歴                          

1950年7月神戸市生まれ。73年10月神戸大学法学部卒業後、74年4月

川崎汽船株式会社入社。香港駐在員、鉄鋼原料グループ長などを経て2011

年5月から現職。13年6月日本船主協会会長就任。

 

◆(公財)神戸大学六甲台後援会 理事長退任に際して

           (公財)神戸大学六甲台後援会特別顧問

              神戸大学名誉教授 新 野 幸次郎

 いまから16年前、(財)神戸大学六甲台後援会の山﨑勲理事長が急逝され、

私が思いもかけないことに当財団の理事長を引き受けさせられることになりま

した。私はたまたま、昭和49年4月から財団の評議員を命ぜられ、同60年

3月に学長に就任したあと、10月には理事に選出されていました。その意味では

財団運営には歴代理事長のご指導を受けながら、長く関係したこともあって、緊

急事態に立ち向かわされることになりました。ご承知のように、六甲台後援会は、

新制大学に再編された神戸高商以来の旧制大学としての高い研究能力と教育レベ

ルを維持し、補強するための財政的支援組織として、卒業生の皆さまの真摯な熱

意と願望に沿って設けられたものです。私自身は、昭和21年に神戸経済大学に入

学、同24年の助手就任以来、長年にわたってその恩恵に浴したものです。いわば

私は財団の活動の受益者として生きてきました。その受益者にすぎなかったものが、

その財団そのものの運営責任者になる能力など全く欠いていることを十分認識して

いましたから、随分悩みました。しかし、緊急事態だからというので、いろいろな

方から説得されてご恩返しの仕事をせざるを得ないことを覚悟し、無理なことは

分かっていましたが、その任に当たってきました。お蔭さまで、16年近くの任期を

終わり、去る6月25日の評議員会で退任を認めて頂きました。

 こうして私のようなものが、大過なく退任できるようになりました最大の原因は、

財団運営をリードして頂く数多くの理事、評議員の皆さま、それに加えて海野興治

事務局長を軸とした事務局の皆さん、さらに何よりも財団活動を支援して頂いた

凌霜会員の皆さまのお蔭です。衷心よりお礼を申し上げます。財団運営にはその

性格上、適切な資金運営とその公明正大な会計処理が不可欠の要件です。この任に

当たって頂いた方々、とくに資金運用執行責任者としての任に当たってくださった

和田慎三さんにはご苦労をおかけしました。本当にありがとうございました。当時、

バブル崩壊後の「失われた15年」の中のデフレ続きで、基金運営が極端に困難にな

っていた時だけに、そのご苦労は大変なものでした。お蔭で毎年の運営総額を増額し、

各種の要請に応えることができました。そのご苦労も考慮し、私自身も覚悟して、

平成16年からは、皆さんに後援会への寄附金増大の呼びかけをさせて頂きました。

私たちの凌霜会員は、素晴らしい集団です。私のこの呼びかけに応えて、私がよく

存じ上げている先輩や同僚や後輩の皆さんだけでなく、例えば、昭和16年卒の久正

様が創設してくださった「久研究奨学基金」のように、母校の発展を憂えてくださ

る実にたくさんの方々から、その後、実に多くのご寄附を頂戴いたしました。その

具体的な内容は、これまでも本誌の「六甲台後援会だより」でその都度ご報告して

きましたので、いまここでは繰り返しません。しかし、総額で2億8千万円余に達し、

「凌霜賞」をはじめ以前に無かった新しい大学支援を行うこともできました。「凌霜

賞」といえば、それと並んで行われたわが六甲台後援会の創設50周年記念事業のこ

とも忘れることができません。

 50周年の正式の記念式典は、六甲台206号教室で本学名誉教授の五百旗頭真防

衛大学校長(当時)をお迎えして記念講演を実施できました。また、これを契機に

本学卒業生だけでなく門戸を拡げて、多くの方々にも聴講して頂ける記念講演会と

シンポジウム「21世紀の経済社会システムの行方―人口減少・地方分権・規制緩和―」

を、平成19年5月12日に、神戸ポートピアホテルで挙行できたことも触れておかね

ばなりません。これは六甲台後援会としては画期的な企画でした。内容については、

本誌第374号(平成19年8月号)でも詳しく紹介してあります。しかし、考えてみ

ると、その時の基調講演を引き受けて頂いた猪木武徳国際日本文化研究センター教授

のテーマ「21世紀の経済社会システムに求められるもの」をはじめ、いま解決を迫

られている根本問題に迫ろうとするもので、私たちの母校の伝統を生かすべく設置

された「社会科学系教育研究府」のこれからの課題の一つになることは明白であり

ます。母校の先生方のご研鑽をお祈りする次第です。

 また、少し冗長になり申し訳ありませんが、平成20年12月には法人制度が改革

され、わが財団も新制度に基づく公益財団法人としての認定を受けるために、中野

常男常務理事をはじめ数人の方々に事務手続き上大変な苦労をして頂きました。

ここでも個別のお名前を挙げませんが、県当局との折衝をはじめご配慮を頂いた皆

さんには心からお礼を申し上げます。お蔭で平成23年3月24日、わが六甲台後援

会は兵庫県公益法人等認定委員会から公益財団法人として認定され、平成23年4月

1日から今日のように「公益財団法人神戸大学六甲台後援会」として登記をし、新し

い歩みを始めることになりました。

 平成20年度から成績優秀な3学部および4大学院生に対して与えるようにしまし

た社会科学特別奨励賞(いわゆる凌霜賞)も、今年で6回目になり、受賞の栄誉に

浴した学部学生、大学院生も160名(海外派遣を含む)に上ります。また、振り

返ると、後に出光佐三記念六甲台講堂となった講堂修復のために、出光興産株式

会社から2億円頂戴しましたが、私たち六甲台後援会からも1億円拠金して今後、

六甲台講堂の運営に約立てて頂くことができました。わが後援会では、さらに、

中山正實画伯の六甲台図書館の壁画やそこに掲額されていた絵画数点の補修だけ

でなく、六甲台武道場(艱貞堂)の修復に当たっても500万円を支援させて頂き

ました。こうして書き綴りますと、まるで財団の業績列記のようになり逡巡せざる

をえません。しかし、こうしたことができたのも私個人の力ではなく、すべて後援

会を支えて頂いた凌霜会員の皆さまと、その責任のある運営をして頂いた役員と

事務局の皆さんのお蔭です。退任に際して、どうしてもご報告をしてお礼を申し

上げねばなりません。

 私の後の理事長は、凌霜会理事長も大学全体の学友会会長も引き継いで、これ

まで見事な発展を図ってこられた高﨑正弘さんが就任してくださることになりま

した。高﨑さんは私とは違って、歴代理事長の皆さまと同じように実業家で、企業

のCEOとして活躍されてきた方です。しかもただの実業人としてではなく、現に

兵庫県教育委員会の委員であるとともに、わが国立大学法人神戸大学の経営協議

会のメンバーでもあります。従って、広い視野でわが六甲台後援会の在り方をお考え

くださりながら、これからの発展を図ってくださいます。幸いにも、私が在任中

ご無理を申し上げてご就任くださっている理事や評議員の皆さまも留任して頂い

ています。ありがたいことです。

 ただ、わが国はいま大変な変革を迫られています。わが国を取り巻く世界全体

の政治・経済の構造的大変化が進展している今日、その中で生き残り、発展しよ

うと思えば、かつての明治維新にも勝るとも劣らぬ大改革を実現してゆかねば

なりません。一番大切なことは、既得権益の放棄をも辞さない構造改革の決心です。

いわゆるグローバリゼーションの津波は、大学をも洗おうとしています。幸いに

して、文科省から先般、わが神戸大学もグローバリゼーションの中で生き残る研究

大学としての評価を得ることができました。この背景には、わが神戸大学が、これ

からの発展に必要な自然科学系と社会・人文科学系との協同体制の確立を図れる

可能性が強い大学との評価があるのではないかと仄聞されます。社会発展に必要な

イノベーションは、かつてシュムペーターが取り上げましたように、科学と技術の

変革と、それを可能にするような社会・経済・政治組織の改革と人間革命とによ

って実現されるのです。そのためには、ひとり自然科学だけではなく、社会科学や

人文科学に革新が図られなければなりません。わが六甲台後援会は、法学・経済学・

経営学に加えて国際協力に及ぶ社会科学系の教育研究府の支援組織です。今回の

研究大学構想は5年でまた見直されるといわれています。私たち六甲台後援会と

しても、母校のこの評価が更に高揚されるのに役立つような支援体制を確立して

ゆかねばなりません。

 凌霜会員の皆さん、来年は旧制の国立高等学校と並ぶ神戸高等商業学校を創り

上げられた水島銕也校長先生の生誕150周年にも当たります。新しく就任され

た高﨑理事長を中心に執行部と事務局をサポートして、神戸大学の課題に応えて

くださるよう祈ってやみません。

 

 

◆(公財)神戸大学六甲台後援会 理事長就任のご挨拶

       公益財団法人 神戸大学六甲台後援会理事長 高 﨑 正 弘

 

 新野前理事長の後を受け、平成25年6月25日の理事会において理事長に選任

されました高﨑です。会誌発行の年間スケジュールとの関係で大変遅くなりまし

たが誌面をお借りしてご挨拶申し上げます。

 約10年前の法人化に始まった大学改革が、安倍内閣総理大臣の主導する「教育

再生実行会議」が本年5月28日に発表した「これからの大学教育等の在り方につ

いて」(第三次提言)にありますように、ここにきて新たな段階を迎えています。

その提言においても、社会を牽引するイノベーション創出のため、ライフサイエン

スを含む理工系分野のこれまで以上の強化が謳われるなど世間の耳目が自然科学系

に向きがちな環境下、高等教育における「人文・社会科学分野」のあり方に対する

危機意識が関係者の間で高まっていることはご承知の通りであります。

 特に神戸大学は、「神戸高商」にその起源を有し社会科学系は100年を超える

歴史とその存在感を世間に示してきただけに、旧帝国大学など他大学よりは一段も

二段も強い問題意識を持って諸施策を展開しなければならない立場にあると理解し

ています。

 学内唯一の附置研究所と専門分野の横断的活動を目指す教育研究府を有する社会

科学系部局としては大学全体のテーマはもとより、独自の分野についても他部局に

先行してそのあるべき姿・方向性を示すべき立場にあると言えると思います。これに

伴い、これら部局の支援をその主たる使命とする当財団の運営も、より身近で、より

充実したものとし、その共同責任の一端を果たしていかなければなりません。

 またご承知のように、神戸大学は本年8月6日の文科省の発表により「研究大学

強化促進事業」対象の19大学と3大学共同利用機関法人の内の1校に指定され

ました。学長はじめ関係者のご尽力に祝意と謝意を申し上げると同時に、研究大学

として更に質の高い教育研究内容を実現し、これまで以上に社会にその成果を還元・

貢献していく重い使命を負ったことを、学内関係者は勿論、我々卒業生もしっかり

と受け止め、未来に向けて日々研鑽、実績を積み上げていく必要があると思ってい

ます。

 前記の教育再生実行会議の大学改革に関わる第三次提言では、平成29年までの

5年間を「大学改革実行集中期間」と位置づけ多くの視点を提起していますが、

そのなかで、我々として特に注目すべき視点・項目の一部に次のようなものがあり

ます。

① 世界で活躍できるビジネスパーソンを日本発で育成するため、経済・経営系を

中心とした学部・大学院のカリキュラムの大胆な転換、教育機能の強化を促

進する。

②技術と経営を俯瞰できる人材育成を図るため、国は文理横断型プログラム開発を

支援するとともに、全ての学生が文系理系双方の基礎知識を習得する取り組み

を促進する。

③自然科学・人文社会科学の基礎的素養、考える力、表現力など幅広い素養、さ

らには芸術等の文化的素養を育成するため、教養教育を充実する。

④教育基盤強化に資する寄附の拡充や民間資金の自主的調達のため、税制面の検討

を含めた環境整備を進める。

 この方向感を外すことなく、母校社会科学系部局の特色ある施策の推進を期待し、

併せて、我々の活動もこれらの動きを後押ししていくものでなければならないと

認識しています。

 以上のような認識の下、去る6月25日の理事会での理事長就任挨拶の一部も引用

して就任に当たっての想いの程をご披露し、皆さまのご理解とご協力を得たいと考

えます。

1.昨今、大学をめぐる環境変化が慌ただしいことは皆さまもよくご存じの通りで

あります。これに合わせて、この六甲台後援会にもより柔軟でより適確な対応が

求められるこの時期に大役をお引き受けする以上は、私なりに全力を尽くすこ

とは言うまでもなく、至らぬところは、皆さまのお力をお借りしながら、組織

力で諸問題に真正面から対峙していきたいと考えます。

2.そのためにも、評議員会・理事会・資金運用委員会・助成事業選考委員会等が

形式に流れず、忌憚のない意見交換の場となり、議論の末に実りある結論をし

っかりと出していくことが必要であります。

3.公益法人としての立場を認識し、法律等に照らして透明性のある運営を心がけ

る一方で、前例に拘らず、変えるべきものは変えていく積極的な運営を目指し

ます。

4.ご経験の豊富な新野前理事長には特別顧問にご就任いただき、個別事案につい

てのご助言・ご協力をお願いすることとします。

 このように、新しい時代の到来に合わせて当財団の活力を維持・向上させ、諸問題

に向き合っていくためには、社会科学系部局への継続的な支援内容の見直しなど、

評議員会・理事会・諸委員会での活発な政策論議や方向付けに加えて、当財団の安定

した財源確保が必須であります。

 今から約50年以上前に、母校の社会科学系部局が我が国のその分野における先導的

存在であり続けることを願って本財団の設立にご尽力された諸先輩の熱意を後世に伝

えていくためにも、運用益確保が厳しい現下の金融環境、母校社会科学系部局をめぐ

る諸情勢に想いを馳せていただき、凌霜会ご関係者の変わらぬご支援を宜しくお願い

申し上げます。

 幸い、教職員の皆さまの寄附件数増強のご協力も得て、このたび関係当局から税額

控除法人としての証明書が付与され、従来からの税法上の所得控除に加えて税額控除

を選択することが可能となりました。それぞれのお立場でこの制度も選択肢に加え

ていただき、より幅広いご関係者の皆さまからのご寄附をお待ち致しております。

 最後になりましたが、長年にわたり当財団の発展にご尽力いただきました新野

前理事長に改めて厚くお礼申し上げます。